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6月12日に行われた選挙では、事前に[[コムザール社会主義共和国の法律|政党一時統合令]]によって当時現存していたすべての政党が連帯という一つの政治団体となり、すべての選挙区に置いて連帯が議席を取得した。当時の議席定数は13。 | 6月12日に行われた選挙では、事前に[[コムザール社会主義共和国の法律|政党一時統合令]]によって当時現存していたすべての政党が連帯という一つの政治団体となり、すべての選挙区に置いて連帯が議席を取得した。当時の議席定数は13。 | ||
[[ファイル:議席図2.png|フレーム| | [[ファイル:議席図2.png|フレーム|第二回総選挙後の議席図]] | ||
{| class="wikitable" | {| class="wikitable" | ||
|+ 6月12日第二回総選挙 | |+ 6月12日第二回総選挙 | ||
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| 連帯 || 13(-) | | 連帯 || 13(-) | ||
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6月26日に行われた選挙では、政党一時統合令が解除されていたこともあり、各政党が活動できた。このときコムザール社会民主党が全選挙区に出馬し、圧勝ムードが流れた最中、新進会・緑志会・明友会・大衆会の政党連合である保守倶楽部が社会民主党と同様の候補者を急遽擁立し、全選挙区で争うことになった。結果は社会民主党が2議席を落とす大敗で、代わりに保守倶楽部は全員当選する大快挙を成し遂げる。またこれによって政権交代が行われ、長く政権を握ってきたコムザール社会民主党は下野し新たに保守倶楽部が政権を担うこととなった。これは後に2月体制の崩壊として保守倶楽部の功績となり語られる。それぞれ、コムザール社会民主党は6議席(のちに離反者が出5議席)、保守倶楽部は7議席(離反者が合流し8議席)、コムザール帝国党は1議席、無所属であり元農労相の[[YAMATO|ヤマト・ヤーソウル]]氏が1議席を獲得することとなった。またこれにより、軍防相の[[バナナ]]氏と国土計画長官の[[岡山の妖精]]氏が落選し、コムザール社会民主党は大敗北を喫した。 | |||
[[ファイル:議席図3.png|フレーム|第三回総選挙直後の議席図]] | |||
{| class="wikitable" | |||
|+ 6月26日第三回総選挙 | |||
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! 政党 !! 議席数 | |||
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| コムザール社会民主党(CSDP) || 6(-1) | |||
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| コムザール帝国党 || 1(-2) | |||
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| モヨコヤニズム社会主義党 || 0(-1) | |||
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| 保守倶楽部 | 7(-) | |||
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